ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

感動して

師走ですねー。師走じゃないよ、まだ2月ですから。

私はあまり忙しくは無いけれど。多くの人はきっと、忙しいのかもしれない。
来年も、仕事しまくろう。そう決意しなくとも絶え間なく仕事はしてるんです。でもお金にすることができません。作品をお金にする、っていうのは難しいです。来年は少しでもお金にしていけたら、と思います。
ところで作品の制作には常に感動が無ければいけない。

それは絵でも文字でも同じことである。感動が無く描かれた絵は、たとえ巧くても無味乾燥なものになる。

この、感動をもって制作する、

 

というのは、私が誰かの作品を鑑賞する場合の基準でもある。

その作品は何かしらの感動をもって制作されたものか?

感動を伴って描くとなると、描く度に絵が変化していく。

なぜかと言えば、たとえばどこか風景を描いたとしよう。

その風景を見て感動して描けば、その風景を次に描くときには別なことに感動が移ってゆくものです。

同じ風景でも、見る時間や季節が違えば、感動も違くなる。

そうなると、それに伴って表現する手法も変化して移り変わってゆくものじゃないか、と思う。

僕だけか?