ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

十七文字世界

ああ、俳句をつくれるようになりたいな。俳句をつくるには 何がいるんだろう?
私は何も知らないのだ。

なんでも、そうだろうけれどある日突然、出来なかったことが出来るようになる、なんてことは人間にはありえない。

 

私が思うに絵描きになろうと思ったら、そうなる為に何かしら始めた瞬間から画家になっているように思う。が何もしないで絵描きにはなれない。俳句もそうだろう。

 

それなら、今から何か始めよう。そういうことで、さぁ!やろう。
はじめる、といっても俳句を創るには何から始めたら良いのかな。

紙と鉛筆くらいは道具として必要だと思う。きっと言葉を扱うのだから、

 

少なくとも言葉に精通していなければいけないように思う。
それも、十七文字に凝縮させるわけだから、ちょっと知ってるくらいでは足りないように思う。

どれ程の言葉の知識が必要なんだろう、広辞苑か?目がくらみそうだ。

あんまり思いつめるとうつ病になっちゃうぞ。

 

俳句は、そうそう昔習ったっけ。五、七、五の十七文字から成る詩だ。詩とは何だ?
ウィキペディアによると詩(英: poetry, poem; 仏: posie, pome; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である、と。

これが本当なら美学的・喚起的な性質を用いて表現される十七文字から成る文学が俳句ということになる。

適当に言葉を連ねた文章では 俳句にはならないのだな。

美しさが無いからか。ためしに本当か、適当に十七文字で文にしてみよう。詩といえるか?

 朝が来てまぶたが開き起きてみる   

確かに。こういうのは、たぶん俳句じゃないな。もうひとつ。

 つかれたなそういえば徹夜したっけ

ん、どうかな?共感はあるかもしれない。けれどそれは誰でも毎日やっていることだから、普通のこととして、だ。そこから驚きや感動は生まれまい。

 

私が今感じる詩というのは、驚きや感動が必ずあるものだ。 読むたびにビリビリッと来なくちゃ。

私は俳句以外、今のところ興味が無い。

短歌というのがあるけれど、俳句がどんなかもよく分からないけれど俳句より知らない。

短歌は俳句より長い詩だというのは知っている。

短歌は季語が要らないみたいだ。俳句は季語が必ず必要。しかし無くても良いのではないか?という意見もあるらしい。そういうので出来たのを無季俳句というそうだ。しかし、俳句を知らない今の私にはどうあっても必要に思える。

 

普通、文章を書くのに季節を気にして言葉を選ぶ、なんていうことが無い。だから私には季語というのがあることで十七文字が芸術品になる、昇華する、そのように思うからだ。季語は季節を表現している言葉だ。

 

私は言葉には疎い。私には文字が絵に見える。だから文字を眺めているだけで楽しいけれど、それを究極に操る芸術が俳句に思える。

十七文字しかないんだもの。

十七文字と短いが故に試行錯誤が必要だし、思いを結晶化させる努力がハッキリと見えるように思う。

さて、俳句をはじめるに当たって、とりあえず図書館に行って初めの師となる俳句の本を探してきた。

清水杏芽という人の著で「俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である」という本である。「すずき あんが」と読むのだろうか?わからない。あんめ、よりは、あんが、と読むのが自然に感じる。それとも「きょうが」か。

その中で彼 は俳句を「十七音字と「切レ」とで成立する詩」と言っている。ここまでハッキリ言い切っていると気持ちが良いものだ。それで、この本にしようと思ったのでした。

俳句をつくるには俳句とはどんな詩なのかを初めに知っていないといけない、と思う。

彼の本にはそれが明確に示されている。 それが分かれば、次に何をすれば良いのか見えるというものだ。

何も知らない私は、まずはこれが本当である、としてはじめよう。今の私には本当に思える。

間違っていたら、後に考えを変えるだけのことだ。

本当に思う、というのはとても大切なことである。

これが本当だとした瞬間にその考えが羅針盤に変わるのだから。

たとえそれが間違っていても違う方向へ行ってしまうだけのことさ。違うと感づいたところで方向転換すればいいんだ。

 

そしてこれから、俳句が出来たらその次第に発表していこうと思う。

けれど、そうなるまでにはしばらく時間がかかりそうだな。

それは言葉がどんな働きをするのかあまりに知らなさ過ぎるから。

ただ思いついた言葉を並べるだけなら出来そうだ。

まぁ、初心者だから、それでも良しとしよう。俳句が多少なりとも分かる人には笑ってもらおう。