ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

輪郭

私は輪郭をとても大切に思っている。輪郭線といっても良い。
輪郭が全ての基本。
そして、輪郭に全てが含まれる、と考える。
画家の現時点の実力の程も、思想も輪郭に反映される。ごまかせない。
輪郭は想像を超える創造の翼だ。ものには輪郭線なぞどう見たって存在しない。

だから描くのは馬鹿げてる、という人もいる。説もある。
これは考えが浅い、と思われる。

絵を描くなら、

 

描く画材を問わず題材が何であろうと、どうしたって輪郭線無しには出来ない。
輪郭というのは、はっきりペンで引いた線のようにあるとは限らない。
微妙な輪郭のほとんどは脳の中で瞬間的に捉えられ定義される。

そして画家は、定義されたそれを紙に移していく。
輪郭は輪郭を定義するということが必要だ。目で見て脳が定義する。

それは人間が必要に応じて法律を作ってきたようなものである。

必要に応じて輪郭を定義しなくてはいけない。

描く人が意識してる、してないに関わらず、輪郭ということからは逃れられない。
私の考える「輪郭」とは、形の外周にあたるところと、そうでないところの二つを指す。
人は形の外周にあたる輪郭がよく見えるようにできているようだ。
絵描きじゃなければ、大抵漠然と見ているらしい。
というのも、私の唯一の生徒さんに輪郭の見方を初めにお教えした。けれども、五年、六年した今も難しいと言うし、描いた絵から、よく見えていない(定義されていない)のが分かるのだ。
少なくとも、物の外形たる輪郭が正確に見えていないと、その他の輪郭というのは永久に見えてこない。

私は物を見るとき、物の外周にあたるところを見る感覚で、「その他の輪郭」がはっきりと見えている。手で紐をたぐるように目で追っていくことができる。
その他の輪郭とは、何なのか。

おそらくは絵描きの方には 普通のことであるから説明もいるまい、と思う。

けれども、それ以外の人には説明が必要かもしれない。

それは、物の外周にあたる輪郭の内側にあって無数に存在している、自分の意識の仕方や関心によって見えてくる輪郭である。

それは、影から成る輪郭だったり、皺からなる輪郭もある。光の輪郭でもあるし、考え次第にたくさんあるのだ。

自然の風景や物の外形というのはほどんど変化するということはないけれど、それでも見る角度によって複雑に変化する。

しかし「その他の輪郭」ほど無限に変化する、ということは無いようにも思える。
それは季節や時間と共に常に変化するし、興味や目的によっても変化する。

また見る力と個人の性格に応じて見える輪郭が違ってもくる。

それ故に無限に変化するのだ。

さらに見えた輪郭を定義するとき、つまり紙に写すときにこそ、絵を描く能力によって最大の変化が起きる。

輪郭が普通に正確に見えるようになると、同じもの、同じ景色を見て、違う絵を無限に描いていくことが出来る。

それは言わば、一つの種から違う花を次々と無限に咲かすことが出来るようなものだ。
この輪郭が見えるようになるには目を訓練する必要がある。

見ることが訓練されてなければならない。

絵を描くには避けて通れない訓練だ。
私はだいぶ苦労して身に付けたけれど、自然を相手にする絵描きなら普通にそれを熟知し、身につけているものかもしれない。