ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

僕の表現の自由

最近世の中では

嘘八百を並べ立てて、嘘の量でもって事実に変えてしまおうと頑張る人がいます。

本来の名前を別な呼び方をして、受ける印象を操作しようとしたり。

例えば、隣の〇〇さんはアホなんだよ。だから明日から見かけたらアホと呼ぶようにしましょう。

これはいけません。アホかもしれませんが、名前がある以上、アホと呼んではいけませんよ。けれど、それを何とも思わない方々が沢山いるらしいのをネットを通じてしりました。

表現の自由の名の下に、表現の自由を脅かし、壊そうとする輩がおります。

あるいは民主主義に不満する輩が、民主主義の破壊だと言って民主主義を壊そうとしたり。

そうした動きを見ていると悲しくなってきます。

 

こういうことは考えさせられるものがあります。

僕も知らず似たようなことをしてはいるんじゃないのか? と。

 

僕の、このブログ(ある日の美術)では結構いろいろな方の言葉を引用させていただき記事になっているものが沢山あります。

それで、どういう意図があって、そのようにしているのかを表明しておこうと思います。

 

僕のブログで引用している言葉は沢山あって、いちいち出所を明記していません。

分からなくなってしまった、と言っても良いと思います。

けれども、たいていは、これは大事だぞ、覚えて血と肉にしなきゃ、と書き留めておいたものでした。

ですから、

 

他者から見れば嘘か?本当か?分からないかもしれませんが僕的には大切にしていることばかりです。

 

世の中に、引用を多用して記事を書く人は沢山いようかと存じます。

人それぞれ目的があって引用しているかと思います。

 

僕の場合は自分の知識をひけらかすのが目的ではありません。

あの人が、このように言っているのだから、僕の言い分も間違いないんですよ、あるいはあなたはおかしい、などとアリバイ作りをしようとするものでもありません。

 

どちらかというと僕の場合は常に自分を教育する、自分に言い聞かせる、自分の考えを客観的視点で確認する、くらいの感覚で引用しています。

自分が感動した言葉をメモしておいて、それに対する自分の考えをハッキリさせたいと思うんです。

それはおそらく引用の仕方で明白かと思います。

 

多くの人を良からぬ方へ扇動しようとか、あるいは自分の考えを押し付けよう、などと考えているものではございません。

一見そのように感じるところがあったとしても、それはあくまで自分はそう思うってだけのことでして。

それは読んでいただければ普通に感じ取っていただけると信じております。

僕のブログを読まれる時には、そこのところを十分くみ取っていただけたら、と思う。

 

橋本徹さんは

「既存メディアが情報発信を独占していた時には、一応既存メディアがスクリーニング(情報をふるいにかける)をしていた。

他人を傷つけないように、虚偽の事実を報じないようにある程度注意をして、それが機能していたところもあるだろう。

しかし一国民が情報発信する時代にあって、それぞれの一発信者が、どこまでそのような注意をしているのか。ネットでの情報発信は、拡散も早いし、いったん拡散してしまうとそれを消去することは著しく困難になる。これまでの既存のメディアの発信よりもむしろ注意が必要になる。

他方、あまりに注意を要求すると、一個人の情報発信が委縮してしまう。このバランスを取るのはほんと難しい。

だからこそ、一国民に開放されたネットによる情報発信、表現の自由を最大限に守るためには、一個人であっても何をやってはいけないのかをはっきりさせる必要があるんだ。表現の自由を守るためにルールを明確化する。何がダメなのかが不明確なことが、表現の自由を最も委縮させる。情報発信者は「忖度」しなければならなくなるからね。」

と。(プレジデントオンラインより抜粋)

president.jp

 

僕はこれに賛成です。

まったく、その通りだと思います。

嘘か本当かを、情報発信する自分があるていど精査して、大丈夫だと確認したものを記事にしていこう。

嘘か本当か、誰もわからないからねつ造でも何でもやって良し、という自分にはならないぞ。

そんなことを許せば、やがて必ず自分の嘘すら自分で見破れないアホになってしまうから。

自分だけのことでも、多くの人が個々にそうしていくことが、間違いなく巡り巡って表現の自由を守ることになるはずさ。