ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

セザンヌと受信機の感度

セザンヌは「絵全体を、私は、いっぺんに、綜合的に押し進めてゆくんです。

おわかりかな。わたしはちりぢりばらばらになるものを全部、同じひとつの勢い、おなじひとつの信念でもって近づける」と。(セザンヌ/ガスケ著(與謝野文子訳))


絵に自分の中にある秩序を与えなくちゃ。

そうしないと絵にならない。

ひとつの信念で混沌から世界をつくりだすのが画家の仕事なんだ。

 

セザンヌは「今日の理論が昨夜の理論に逆らって、私をひきづったりするようなことがあると、いわば、絵を描きながら私が思考し、私が介入すると、ぽちゃっと、全部お流れになってしまう」(セザンヌ/ガスケ著(與謝野文子訳))と。

僕も戸外で絵を描いていると、

 

絵を考えながら描いてちゃ、ろくなものにならないな。描くときには自身に考える隙も与えず必死にやらないとダメだ、とよく思う。

 

思考と実践はやる時を別々にしないと、それが絵になって混沌を表現したものになる。混乱をひきづったまま絵を描き始めると表現にすら至らない。

それはどこかへ流れてしまうんだ。

 

「芸術は、全宇宙の感動がまるで宗教的なかたちで、しかも、たいへん自然なかたちであらわれてくるという恩寵の状態にわれわれを引き入れる。

全体的調和は、色彩でもそうですが、いたるところにわれわれが発見しなくてはならないんです」と、

 

また「芸術家は数多くの感覚を受ける器です。ひとつの頭脳、ひとつの受信機です」と。(セザンヌ/ガスケ著(與謝野文子訳))

 

そうだ、自分の受信機の感度が落ちないように、いつも整備しておこう。僕がこうして誰かの言葉を聞いて、それについて一つひとつ沈思黙考することも感度整備の一環です。

 

絵や文字をやる上で何を表現するのか?ということは、僕のラジオが何を受信してるのか?ということだ。

 

ラジオのスピーカーの仕事が絵を描くってことだ。僕のラジオの感度を良好にしておくために、バイクで旅に出かけたい。

僕はバイクが好きなんです、昔からね。

それで、いつの日か松尾芭蕉の「おくのほそ道」のような紀行文を書きたいものです。俳句に当たる部分を風景画にしたような。