ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

配色のセオリー

色彩は突き詰めていけば配色が全てなのかもしれない、と思う。

色彩だけの絵、それは言葉も及ばない世界。

私にはそれが純粋に「絵」だ感じる。

色彩っていうのは説明しようとしても言葉にしがたいものです。

だから描きたくなるのかもしれません。
描く前も後にも頭の中には何も無くて、作品だけ勝手にできあがる。

ぬり絵の水彩画の絵

それでも絵を描くとき、やたらめったら適当に描いているわけではありません。 ま、適当でも構いはしませんが、それだと自分的に良い感じの絵になる確率が低くなってしまいます。

 

出来たら百発百中で

 

満足のいく絵にしたいもの。

それで、私には自然の観察から導き出した配色に関するひとつの「配色基準」というのがあって、それに基づいて描いていきます。そして、その「配色基準」は描く度に更新されていくんです。

 

仏教では十界互具(じっかいごく)という概念があり、それは最も基本にして根幹をなす概念で、かつ一念三千との関係もあって、それとともに仏法の真髄といえるものです。

 

人の瞬間瞬間の生命状態には十の世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏)がある、生命はそのなかで常に流転しています。

その十の世界それぞれにまた、十の世界が具わっている。自然もまたそうである、と説かれる。それが十界互具です。

さらに、十界それぞれに十の側面(十如是(じゅうにょぜ)といわれます)がある。それらを百界千如ともいいます。

それら各々に三世間という区別があり、これを具足することによって三千世間となります。

三世間は心と体、あるいは自身と環境といったものの関わり合いから三つの差別を立てたものです。

そして、それらが、ほんの一瞬の思いである一念の中に収まっている、というのが心の本質になります。

それが一念三千です。

三千世間が一念の中に収まっているのであるから、自分の、日ごろの一念によって、自分の生きる世界が出来ていく、とも言えるのかもしれません。

そして、その一念三千の姿がそのまま南無妙法蓮華経とされます。

日蓮大聖人は「妙法蓮華経の五字は又我らが一心に納まりて候けり」と。

それは地球上のあらゆる宗教概念を含む仏教の結論です。

 

 

それで僕も、色彩の配色を十界互具のように表現できたらな、と思うんですよね。

私の思考の多くは仏法に準拠しています。

 

ところで、僕の配色基準の基本的な考え方はいたってシンプルです。

おそらくは、誰にでも適用できるやり方です。

それでいて、誰がやっても同じようにならない。個性をつぶさない。

自由度が無限に近いと思う。

色彩に未熟な人がそれなりに表現でき、上級者は深みのある配色を展開することができる。

これで、あなたも配色の達人!

ということで、やり方を説明しましょう。

一、第一色を全体の三分の二ほど、塗る。ほど、というのが大切です。ほど、というのはまだ量的に確定していないことを表しています。

二、第二色を残りの部分の内の三分の二ほど、塗る。

三、第三色を残りの部分に塗る。

四、ほど、の調整をする。

 これが基本です。このやり方は絵全体の客観的調和を保ちつつ色彩を表現します。

原理は簡単ですが、私の十五年の研究の歳月がここに集約されている。

私の色の作品という作品はこれが基本原理となっています。

これはイッテン先生の本にもないところで、イッテン先生の色彩論から出発して、さらに開発して生み出したものです。