ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

書ってスローな芸術

文字は誰でも書けるものです。

文字を読めなくても、意味を知らなくても、辞書か何かを見て同じように書けば書けるんだ。

だから書はかんたんだ、と思う。

しかし、惚れ惚れする良い字っていうのは、なかなか誰でも書けるってものじゃない。

はぁ(*´Д`)、そうなると、難しいよね。

 

書っていうのはスローな芸術で。

何がスローかというと時間だ。とてもゆっくりな時間。

書は鑑賞するにも、非常に長い時間を耐えることができる。材質的な面ではもちろん長い時間耐えることができますが、書の質ですね。

すばらしい書は長い時間の視線に、よく耐える力があるものです。

だからこそ、名筆はコピーとはいえ千年を超えて愛されるんだよね。

 

良い字を書こうとすると、無限ともいえる鍛錬を必要とします。

何も、そんなに鍛錬しなくても、どうにかなるんじゃないですか?と思いたい。でもそうはならない。

何故ですか?

それは、はじめに言いましたように、誰でも書けるからなんです。

だからその差分、鍛錬が必要になるんですよね。その意味でもスローな芸術です。

その鍛錬も1回2回じゃないんです、1文字につき千回レベルの練習が要求される。

 

まぁ、どこを終点に置くかによりますけどね。僕の書く文字は、1年くらいなら鑑賞に堪えれるかもしれない実力かと思うんです。でも、やっぱり千年耐性の書を目指したい。

 

書の善し悪しは瞬間的に分かるものだけれど、良い書ならスルメみたいに何時まで見ていても、何年みても飽きない美しさがある。

そこが僕は好きなんです。

費用対効果バツグンじゃないですか! 材料も紙と墨だけですしね。

 

書はたぶん外国人には理解できない世界だ。

漢字は漢字圏の人なら深く理解できます。しかし、日本の書は中国の方には理解できないかもしれない。

日本人であっても、文字を書をしない方が深く理解するのは難しいだろうなぁ。

まぁ、誰であっても表面的には理解できるかと思うけれどね、深くは無理だと思う。

なぜだろう?

深く理解しようと思うと、書かれた文字は何なのか?少なくとも意味が分かっていないといけないから。意味などを知らずに書かれた文字と意味が分かって書かれた文字は見た目が、ハッキリ違って見えるものです。たとえば日本語の知らない外人が日本語を見て書いた文字を日本人が見ると、あぁ、これは日本語を知らない、というのが書いた文字を見て、誰でも分るでしょう?

書き順がある程度分かっていないと、線の流れを理解できないから。

文字の歴史上、現在使われていない文字がとても多いから。

僕の考えでは、文字を深く理解するには過去の文字も、あらかた分かっていないとダメなんだと思う。

つまり、たかだか、紙にしゃらしゃらっと書いた文字なのに、それを深く理解しようとすると、たくさん勉強をしなくちゃいけなくなるんです。

書っていうのは理解するという意味でもスローな芸術だなぁ、と思うんです。