ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

今日の工事現場

今日はアルバイトの関係で朝から工事現場にいました。

30分程度で終了するような、ちょっとした仕事をしてきました。

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バックホーがあったのでちょっと描きたくなりまして、チョロっと描いた。

せいぜい5分10分のスケッチなんだけど、描きながらいろいろと思う。

実際は三次元の立体で見えてるわけなんですが、それを二次元の紙に翻訳するんです。まぁ、それが絵を描くってことですよ。

そうするっていうと、いつものことなんですが、解決しなければいけないことが色々と出てくるもんです。

これは近くにある、あれは何だかよく見えない、とかね。

鉛筆は非常に繊細な道具で、表現も多彩だ。光に対する耐久性もバツグンだ。しかし若い頃は、あまりに身近なためか、そこんところが分かっていなかった。

鉛筆で描いたものは、すぐに汚れちゃうしさ。

鉛筆ほど簡単で正直な画材は、なかなか無いね。だから好きです。

これからは、もうちっと鉛筆で絵を描こう。

 

 

 

 

 

取っ組み合う

こんばんは、寒いのに半袖で居るシュンです。

最近はさ、覚悟しました。

人物をドガのように描けるためには描きまくるしかないんだよね、きっと。

しかも、単に見て描くだけじゃなく、構造を理解して描くようじゃないとドガのようには、きっと、ならないよな。

人物ってむつかしいなぁ。

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それで、先月あたりから、指三本分だから、6センチくらいの厚さの医者の為の解剖学の本を借りてきて、それ見て描くことにしました。

右手をご覧ください。

そこに見えるのは、足の裏の筋肉を解剖学の本を見ながら描いてみたものです。かなりテキトーですけどね。

しかしね、何度描いても、描いてもさっぱりわかりませんよ。

 

何が分からないって、筋肉のつながりを真似て描いてみても、何でこの筋肉や、あの筋肉が必要なのかがさっぱりなんです。

この筋肉は何のためにあるのさー?何で?何で?ばかりで答えが出てきません。

 

あー、もう、こうなったら百回でも千回でも万回でも、手に取るように分かるまで描いてやるー!

骨の一つ一つ、神経から何から何まで全部、何年かかっても、取り組むっすー!

だんだんと秋

最近はさ、風もひんやりしてきた仙台です。

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だんだん、だんだん秋だなぁ。

緑も枯れた色、そう、こんな感じの色になってきて。

 

色ぬりしてきて、もう20年近くなるけれど、文字なんて子供の頃からやってきて、今でも毎日やってんです。

文字も、色ぬりも、何だってこんなお金にもならないようなことに必死になってるのさ。

誰に見せても、ピンときてないでしょう?

 

文字を書いていると、いつになったら良い字が書けるんかなー?と思うのしきり。

色ぬりも、もうちょっと頑張っていこう。

文字は、やっぱり王羲之小野道風のように、光り輝く文字を書けるように、いつかはなりたいもんです。

色ぬりは、たとえば空気のように無ければ困るし、日に一度は見たくなる。と言って見てもピンとこないような、ものを目指したい。

 

そんなこんなで、秋になると、いろいろしんみししてきます。

 

 

 

字を書いているうちに日が暮れて

今日は、無性に文字を書きたくて書きたくて文字書き三昧の一日でした。

なんだか文字を書くのは麻薬みたいだ。

なんだかまだ書き足りなくてウズウズしています。

 

朝は2時くらいに目が覚めましてね。0時くらいに寝たのにすぐに起きてしまいました。

それで、2時間くらい字を書いたでしょうか、疲れたので寝ました。

次に目覚めると6時でした。それで、また文字を書き始めて、2時間くらい書いて疲れて寝ちゃいました。午後からは仙台メディアテークという場所で宮城県の芸術祭が催されていて、今は書道展をしています。それを鑑賞してきました。というか、落書き帳を持参して展示作品をお手本に文字を練習しまくってきました。

夕方自宅に帰ってきてから、また文字を書き始めて、もう23時か。

さて、今日はたくさん練習がてらに書いたんですが、そのうちで、なんとかお見せできそうなのをアップしよう。

 

これは明治32年兵庫県生まれの仲田幹一さんの文字を臨書したものです。ちらし方がカッチョイイです。

実際は薄墨で書いてあって、こんなんじゃないので臨書とは言わないか。

書いていて、いろいろ思うところがありまして、こんな風になりました。

仲田さんは尾上柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。)に学んだ書家です。

書かれた文は「一昨日はあの山こえつ花ざかり」です。

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これは、僕が大好きな重之集を見ながら書いたものです。

重之集は、その線質の繊細さにシビレる〜。

これまで何度も何度も書いているので今日は微妙に自分の好みに合わせて文字を変形させてりして書いたりしました。

後ろの方の「なりぬべきかな」のところの「な」と「ぬ」は本阿弥切のようだ。

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重之集は千年くらい前の文字だけど、仮名ってスゲーぜ。

仮名を書いていると、その中に書の歴史が全部含まれてくるのを感じる。

楷書、行書、草書、隷書ぜんぶだ。だからぜんぶやらないと理解がおぼつかない。篆書やそれ以前の文字は、まぁ、あまり関わってこないような気がするけれどね。

日本特有の「漢字かな交じり」という表現は漢字文字の歴史の上で究極のものであると思う。

人間がついこの間地上に生まれてきたように、漢字かな交じりは文字の進化の最終形のように僕には見えるんだ。それにカタカナもあるしさ。

しかも、民族を越えて進化し続けたところがスゴイじゃないですか。

僕はそれを思うと、つくづつ日本に生まれて良かったと思うよな。

人類に男と女がいるように、漢字にも男と女がいてはじめて自身を取り巻く環境の表現に対応していけるんだろう、と昔の日本人は思ったのかもしれない。